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主観で生きてたほうが、オタクって、シンプル。

「 オタクは毎日が楽しいぜ〜おいおい」っていう基本スタンスで、

この記事を書いていることを、冒頭で強く申し上げる。

あなたもそう、わたしもそう。

Yes。

ここからは、

ものすごい抽象的で、

ものすごい漠然とした話をする。

話が入りやすいように結論から言うのがいいね。

「いつも感じることなら嘘つかない!」

っていう、『愛なんだ』さながら、愛があればええやん〜っていう話。

みんな楽しく「自分の・自分による・自分のためのオタク」やってるんだから、

もうなんでもいいの、

みんな可愛い、みんな可愛いオタクだよ(?)

主観で生きてれば、いつでも自分の発想とはつじつまが合う

例えばAっていう意見があるとして、

「私はBだと思う」と、仮に他者と異なった視点を持っていたとしても、

自分に正直でいられれば、きっと中長期的に自分のペースが保てる。

この強さの何がいいかって、

相手の意見がAだろうとBだろうと関係なく、

「私はB、そしてそれが自分にとって心地がいい」っていう発想がゆえに、周囲の影響を受けないところ(受けすぎないところ)。

とても穏やかでいられるし、流されない。

流されないってことは、つまり、

自分も周囲を惑わせないし、影響を変に与えすぎることもない。

不安が伝染する、みたいなことを、しないしさせない。

主観を持てていればたとえ時に、環境や都合で致し方なくパフォーマンスとして譲歩しても、自分のなかで主軸がブレることはない(心から譲歩したってそれは変わらないとも思うし)。

そうすると、

たとえば「私Aもわかるな、だけどBでもありたいな」って、自分も許せて相手も許せるような、そんな『包括した柔軟性』にたどり着くこともできる。

柔軟でいようとするスタンスは、

結果、

相手を尊ぶし なにより自分を救ってくれる。

誰かの意見に反論する形で出した持論は、主観とは言い難し。

個人的に理解に難ありだなとハタで思うのは、

『Aなんて絶対違う、Bのほうが賢いよ』って、先に出た誰かの主観に対してマウントを取る姿勢で自分の感情をキープしている状態の様子を見かけた時。

きっとあなたも、「ああ…マウント取ってるなぁ」って思ったこと、あるでしょう?

仮に意見にAとBがあるとして、その中身がどんなものであろうが、

相手の意見と反したカッコウでいれば、
一線を画してクレバーでいられる

って感じに辿り着いたであろう持論を述べてるのを見かけると、そんなに牙を剥かなくても…と思う。

と同時に、その持論にあとあと自分の感情が振り回されている様子も伺えてしまうから、「そんな無理して常に逆サイドを取ろうとしなくてもいいのに」と思ってしまう。

揺さぶられてるヒトの声に揺さぶられる必要はないから、自分の感情に漂っていよう

他者発信の感情で都度瞬発的にコトバを発してるヒトがいたとして、

それをハタで見かける立場としては「くらっちゃいそうになる」から、目を耳を塞ぎたくなることありません?

攻撃的でなおかつ逆サイドでマウント取ってるらしき内容なのに、「誰に伝えてるか」は明示しないままだから、ちょっとずるい。

見聞きする立場は『誰に向けて言ってるんだろう…わたしかな…』って、得体の知れない心配をする必要があるし。

だから、くらわないように、自分にとってノイズになるならそれはもう距離を置こう。

大抵、都度瞬発的に牙を剥くように逆サイド取ろうとしてくるヒトの言葉って、

たとえ相手を明示してなくても、ハタで見てると簡単にやっつけたい相手が見えちゃうんだよね。

そんなに対象が決まってるならば、面と向かってその相手に思いをぶつければいいのに、ってやきもきすること、ないかな、みんな。

私自身が何か攻撃的な牙が向けられてるよ〜って話ではまったくないんだけど、周囲の流れや空気を見てるとたまにそんなことを思う。

「この子はこの子なりにオタクやってるから、許したって〜!あなたの感情も許されていいのだから、お互いに認めて許したって〜!」って、オカンのように静観。

「主観で生きてたほうがシンプル、主観で生きていればつじつまが合う」って言ってるんだから、

何主張しててもセーフティなんじゃないの?って一見思うかもしれないけど(ま、ぶっちゃけそうなんだけど)、

主観のようで主観じゃないなコレ…って見えちゃった時』の、

あのなんともいえない感じは、つじつまが合っているようには感じ得ない。

相手の意見ありきで、後手で出した持論はもろい。

相手の意見が変わると、自分も変わるから、ハタで見てるとつじつまが合ってない。

人間って変化するものだから、思っていたことが変わることになんの異論もないし受け入れるけど、それが逆サイドを取り続けて息巻いて出した感情ばかりだと、「そんなに牙を剥きなさんな」って、また私の中のオカン出てくる。

しばられて窮屈になるくらいなら、いっそ外野の言葉はシカトして大丈夫だもの。落ち着けい、落ち着けい。

誰かと逆サイドを取って笑いながらクレバーぶるヒトのことは、気にしない

『Aなんて絶対違う、Bのほうが賢いよ』と主張してる裏にあるのが、

個人で導いた主観じゃなく、

「相手より優位に立つための結論なんだろうな」と察することって、ある。

※あらためて補足すると、この記事、不特定多数の誰だかわからない対象者を非難するためのものではなくて、

『こういうこと』のやりとりとか間接的に感じる気配で疲れたあなたの気持ちをほぐすためのものです

感情の起因が自分ではなく相対すると決め込んだ他者にあると、

当然、出てくる言葉は「相手の発想の逆」になりがち。

都度、相手にあわせて瞬間的に感情を吐露してると、

主張していたはずのモノに実態がなくなっていき、のちに主張に辻褄が合わなくなっていくことに気づくんじゃないかな。なんせ、感情の根源が自分じゃなくて相手にあるから。

ただし、もちろんね、

相対的に視てはじめて感じることとか分かることもあるから、個人の世界にだけ没頭したほうが良いなんて極論は言っていないんだよ。

むしろ、「鏡や影があって初めて自分の外見とかフォルムが分かる」のとおなじように、他者や環境のなかにいてこそ主観が生まれてくってのもあるから。

その、周りにたくさんあふれている他者の意見が共感できるものでもノイズでも、主観にたどり着く時には自分で決め込む方が、あとあと違和感を覚えなくていなっていう。

だからなにっていう、

オチも特にないようなことをつらつらと書いているんだけど、

もしも一旦落とし所をつけるとしたら、

「揺さぶられてその都度反応してマウントとっても、それが結局あとになって自身の心を弱らせるぜ」、だから、

自分のフィーリングをいつも信じて、

簡単に一喜一憂せず、

毎日を楽しもう!、かな。

・・・・・そう、わかりきっていることを、

言いがち。